日本公演後のBeatles

日本公演後のBeatles
日本を離れるBeatles
日本を離れるBeatles

7月2日の最終日に昼と夜のライブをこなす。
(その日に次のアルバム名をRevolverに決め、EMIに電報を打っている)。
そして、7月3日の午前中に日本を離れ、夕方マニラ空港に到着。

Beatles arrives at Pilippines
Beatles arrives at Pilippines

空港で歓迎を受けたが、1960年のアイゼンハワー大統領訪問時並の厳戒態勢だった。
武装した男たちに囲まれマニラ港にある大富豪の豪華ヨットで数時間過ごす。
その後、マニラ市内のホテルに到着。

フィリピン公演のポスター
フィリピン公演のポスター

イメルダ夫人のパーティー

7月4日、彼らは昼まで寝ていた。
しかし、イメルダ・マルコス主催のパーティーに彼らを連れ出そうとする大統領警護隊に起こされる。
実はイメルダ夫人から招待を受けていた。
しかし、Brian Epsteinのツアー中の取り決めとして断っていた。
何らかの原因で伝わっていなかったようだ。

フィリピンでのインタビュー
フィリピンでのインタビュー

Beatles一行と大統領警護隊は揉めた。
そして、ひと段落してライブ前の準備の際テレビを見てみる。
イメルダ夫人がBeatlesがパーティーに来なかったため憤慨している様子が映し出される。

ライブ開始。
ライブは音響の問題はあったが、特に何事もなく終わった。
フィリピンでのライブはリザール・メモリアル・フットボール・スタジアム。
16時からと20時半からの2回公演のみであった。

フィリピン公演の様子

ライブの合間、Brian Epsteinは取材でパーティーに出席しなかったことについて説明をする。
その様子も撮影されたが、放送時にはその映像の音声は編集されていた。
Paul McCartneyも同じく取材で弁明しているが、無かったことにされている。

キャンセルの余波

そして、次の日、7月5日、状況が変わる。
ホテルはすべてのサービスを拒否。
Beatlesの警護にあたっていた警備もいない。
さらに、ライブ収入に関する所得税の請求を受けるが、ライブ収入のほとんどを取られる。

察したBrian Epsteinは次に乗るKMLに離陸を遅らすよう連絡。
タクシーで一行は空港へ急ぐ。
しかし、運転手が軍隊とグルだったため街中を延々と周る嫌がらせを受ける。

空港に着いたら罵声を投げかける群衆に囲まれる。
George Harrisonは殴られ、部屋中ひ引き摺り回される。
そして、John LennonとRingo Starrは顔を殴られたという話もある。
(殴ったと自慢していた男がいたらしい)。
Paul McCartneyは先頭を走っていたためか、特に被害はなかった。

Brian Epsteinは地面に押し倒され、股間を蹴られる。
ロードマネージャーのMal EvansもBeatlesを守りつつも結構殴られた。

固まった決意

ようやくKML機に乗ることができた。
ただ、Mal Evansを含む2人が飛行機から降りるよう命令を受ける。
覚悟したMal Evansは自分の家族へのメッセージを乗客に託す。
しかし、警察に連行されるが40分後に飛行機へ戻される。

KML機は大幅に遅れながらもインドに向かい離陸する。

ニューデリーに到着後、彼らは招かざるビートルマニアに歓迎される。
それから予定にも入っていなかった記者会見を強いられウンザリとしてしまう。
2日間の休暇となったインド滞在で彼らは楽器を買いまくって楽しんでいたようだが、Brian Epsteinが1967年のツアーを計画しているという話を聞きつけ強く拒否する。

フィリピンとニューデリー到着時の事でBeatlesはライブ活動の引退を完全に決めた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です